正解なんて行動してみないと分からない

哲学
よくクライアントと接していて聞かれることがある。
 
 
 
「どう動いたら正解か分からないんです。」
 
 
 
この言葉を初めて聞いた時は正直なんて答えていいか
わからなかった。
 
 
 
なぜなら、私自身もその正解を求めて彷徨った経験があるから。
 
 
 
学校教育ではとくに成績をつけるためか
正解・不正解があって間違えると親だったり先生に
怒られたりする。
 
逆に正解すると喜んでくれるし周りにも
何となく一目おく存在になっている感じを受けていた。
 
こういった環境が当たり前のようにそばにあるので
常に正解を求める。そしてさらにその正解を導きだす
近道がないかという考えが浮かんでくる。
 
その正解をより早く正確にいろんな分野で発揮することで
高校、大学の行き先が決まる。
 
こういうことが得意になると
ある能力が失われていくことがあると考えている
 
 
「自分で考えたことに自信がもてなくなること」
 
 
今までは、何か答えが出ると、誰かがそれを
採点してくれることで正解か不正解を教えてくれていた。
 
しかし、人生の選択となるとこれには
誰にも正解、不正解はつけることはできない。
 
自分の信じたことをやってみたらいい!!
 
こんなことを言われることもあったが
言葉はよく聞こえるがどこか無責任な感じも受けていたりした。
 
これは私だけでなくて多くの人は悩んでいるように思う。
 
 
 
私もいろいろ悩んだが一つの答えとして考えているが
 

「正解は行動してみないとわからない。」

 
にたどり着いた。
 
なので先の質問されたときには私の考えとしてこの言葉を伝えるようにしている。
 
補足の言葉として
 
私にとっての正解だなと思うこととあなたの正解はきっと違う。
だから、自分で歩いてみないと分からない。
 
もし行動する前に答えを見つけようとして
近くに答えを教えてくれる人が現れたら
それはきっと
「答えのようなもの」
であることを意識しないといけないと思っている。
 
なぜなら、
私もその答えのようなものにたくさんすがりついて
きたから。
 
でも、その結果は満足感も幸福感もなかった。
 
そしてその多くは私の望まない結果を
与えてくれる。
 
だから言える。
自分の決めたことならまずはそれで歩いてみること。
そして決める基準は
「自分がそれがやってみたいとおもっているか」
 
言葉で言うのは簡単だが、いざ行動しようとすると
これはとても難しい・・
 
行動できないから困っているわけで・・
 
だから基本的には
「人生なんて間違っていい」
と思っている。
 
むしろ
間違いとか正解なんて決めるのは自分であって
他の人ではないのだから。
 
こういう気持ちになるのが難しいのは承知の上であるが
いくつかの段階をふんででも
伝えていきたい気持ちである。
 
 

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